歴史・背景#
生い立ちと教育#
山本五十六は1884年(明治17年)4月4日、新潟県長岡市に旧長岡藩士族である高野貞吉の六男として生まれた。幼名は高野五十六。名前の「五十六」は、父貞吉が当時56歳であったことに由来する [2]。 1901年(明治34年)に海軍兵学校に入学し、1904年(明治37年)に32期生として卒業した。卒業後、少尉候補生として巡洋艦「宗谷」に乗組み、日露戦争における日本海海戦に参加している [3]。
高野家から山本家へ#
1916年(大正5年)には、旧長岡藩家老の家柄である山本帯刀家の養子となり、山本五十六と改名した。山本家は戊辰戦争で朝敵とされた長岡藩の家老職を務めた名家であり、山本五十六は家名の再興を託された [4]。
アメリカでの経験と航空への傾倒#
山本は海軍大学校を卒業後、アメリカへの留学を経験している。1919年(大正8年)から1921年(大正10年)にかけてハーバード大学で学び、アメリカの国力や産業力を肌で感じた。この経験は、後の彼の戦略思想に大きな影響を与えたとされる [5]。 また、彼は海軍航空隊の創設期からその重要性を認識しており、自らも操縦訓練を受けるなど、航空戦力育成に尽力した。ワシントン海軍軍縮会議やロンドン海軍軍縮会議にも出席し、軍縮条約に反対する海軍内部の強硬派と対立しながらも、日本の国益を守るために交渉にあたった [6]。
主要な内容#
連合艦隊司令長官就任と日米開戦#
1939年(昭和14年)8月、山本五十六は連合艦隊司令長官に就任した。当時の日本は日中戦争の泥沼化に加え、国際情勢の緊迫化により、アメリカとの対立が深まっていた。山本はアメリカの工業生産力の高さと長期戦における日本の不利を熟知しており、日米開戦には当初から慎重な姿勢を示していた [7]。 しかし、外交交渉の行き詰まりと軍部の強硬論に押され、開戦が避けられないと判断すると、短期決戦に持ち込むための戦略として、ハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊への奇襲攻撃を立案した [8]。
真珠湾攻撃#
1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃が実行され、アメリカ太平洋艦隊に壊滅的な打撃を与えた。この作戦は、奇襲の成功と航空機による攻撃力の有効性を示したが、アメリカの空母部隊を撃滅するには至らず、長期戦の可能性を残した [9]。山本は開戦に際し、「半年や一年は、ずいぶん暴れてご覧に入れる。しかし二年三年となれば、全く確信は持てぬ」と述べたと言われている [10]。
ミッドウェー海戦#
真珠湾攻撃後、日本海軍は南方作戦を順調に進めたが、アメリカの反攻を阻止するため、山本はミッドウェー島攻略作戦を立案した。これは、アメリカ海軍の空母部隊を誘い出して撃滅することを目的としたものであった [11]。 1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦が発生。日本海軍は情報戦での不利や作戦の不手際により、主力空母4隻を失う壊滅的な敗北を喫した。この敗戦により、太平洋戦争の主導権はアメリカ側に移り、日本の劣勢が決定的となった [12]。山本はこの敗戦の責任を痛感したが、司令長官の職に留まった。
ガダルカナル島の戦い#
ミッドウェー海戦後、日本はガダルカナル島を巡る激しい消耗戦に突入した。山本は、陸軍との連携を図りながら、ガダルカナル島への補給と増援に尽力したが、制空権・制海権を確保できず、多くの兵力と物資を失った [13]。
戦死#
1943年(昭和18年)4月18日、山本はソロモン諸島方面の戦線視察のため、ブーゲンビル島へ向かう途中、アメリカ軍のP-38戦闘機による待ち伏せ攻撃を受け、搭乗機が撃墜され戦死した。享年59歳。この作戦は、アメリカ軍が日本の暗号を解読し、山本の移動計画を事前に察知していたことによるものであった [14]。山本の死は、日本軍将兵の士気に大きな影響を与えた。
関連事項#
評価#
山本五十六の評価は、歴史家や研究者の間で多岐にわたる。彼は、航空戦力の重要性を早くから認識し、その育成に尽力した先見の明を持つ軍人として高く評価される一方、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦の作戦立案においては、その戦略的な限界や誤りを指摘する声もある [15]。 また、開戦に反対しながらも、いざ開戦となると徹底した作戦を遂行したことから、「悲劇の提督」とも評されることがある [16]。
人物像#
山本は、非常に合理的な思考の持ち主であり、軍人としては珍しくギャンブルを好んだ逸話が残っている。ポーカーや橋、将棋などにも長けていたとされる [17]。また、部下思いで、兵士たちの士気を高めることにも心を砕いたと言われている。
記念館・関連施設#
出身地である新潟県長岡市には、山本五十六記念館↗があり、彼の遺品や資料が展示されている。また、彼が学んだ海軍兵学校のあった江田島(現在の海上自衛隊幹部候補生学校)にも、彼の功績を称える展示がある [18]。
脚注
- 戸高一成『山本五十六』PHP研究所、2001年。↩
- 阿川弘之『山本五十六(上)』新潮文庫、1979年、12-15頁。↩
- 阿川弘之『山本五十六(上)』新潮文庫、1979年、30-45頁。↩
- 歴史群像シリーズ『山本五十六』学習研究社、2007年、10-15頁。↩
- 阿川弘之『山本五十六(上)』新潮文庫、1979年、150-170頁。↩
- 戸高一成『山本五十六』PHP研究所、2001年、80-110頁。↩
- 半藤一利『決定版 日本のいちばん長い日』文藝春秋、2006年、35-40頁。↩
- 戸高一成『山本五十六』PHP研究所、2001年、180-195頁。↩
- ゴードン・プランゲ『トラ・トラ・トラ! 真珠湾攻撃』早川書房、2001年、500-520頁。↩
- 阿川弘之『山本五十六(下)』新潮文庫、1979年、120頁。↩
- 淵田美津雄、奥宮正武『ミッドウェー』学習研究社、2002年、30-50頁。↩
- サミュエル・E・モリソン『モリソンの太平洋海戦史』光人社、2003年、110-130頁。↩
- 大塚好古『ガダルカナル戦史』光人社、2000年、250-280頁。↩
- ジョン・コステロ『太平洋戦争』河出書房新社、1989年、450-460頁。↩
- 戦史叢書『中部太平洋方面海軍作戦(2)昭和十七年六月まで』朝雲新聞社、1970年、500-510頁。↩
- 秦郁彦『日本陸海軍総合事典』東京大学出版会、2005年、290-291頁。↩
- 阿川弘之『山本五十六(上)』新潮文庫、1979年、80-90頁。↩
- 山本五十六記念館公式ウェブサイト。↩
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