概要#
毛利元就(もうりもとなり)は、戦国時代の武将であり、安芸国(現在の広島県)の小豪族であった毛利氏を中国地方の覇者にまで押し上げた人物である [1]。巧みな謀略と優れた戦略眼で知られ、「謀神」と称されることもある [2]。
歴史・背景#
生い立ちと家督相続#
毛利元就は明応6年(1497年)、安芸国の国人領主・毛利弘元の次男として生まれた [3]。幼名は松寿丸。幼少期に父と母を相次いで亡くし、兄の毛利興元(もうりおきもと)のもとで育った [4]。しかし、興元も若くして病死し、その嫡男である毛利幸松丸(もうりこうしょうまる)が家督を継ぐも、わずか9歳で早世した [4]。このため、大永3年(1523年)、元就は家臣団の推挙を受けて毛利氏の家督を継承することとなった [5]。この時、元就は27歳であった。
周辺情勢と勢力拡大の初期#
元就が家督を継いだ当時の安芸国は、東に尼子氏(あまごし)、西に大内氏(おおうちし)という二大勢力に挟まれ、常にその狭間で存続を脅かされる状況にあった [6]。元就はまず、大内氏と尼子氏の間で巧みに立ち回り、時には一方に服属し、時にはもう一方と結ぶことで、毛利氏の独立性を保ちつつ、徐々に勢力を拡大していった [7]。
主要な内容#
謀略と知略#
元就の生涯は、数々の謀略と知略に満ちている。特に有名なのが、吉田郡山城の戦いである [8]。天文9年(1540年)、尼子経久の孫である尼子晴久(あまごはるひさ)率いる大軍が毛利氏の本拠地である吉田郡山城を攻めた [9]。元就は寡兵で籠城しつつも、大内氏に援軍を要請。援軍の到着を待つ間、敵の補給路を攪乱し、士気を低下させるなど巧みな戦術を展開した [10]。最終的に大内・毛利連合軍は尼子軍を撃退し、毛利氏の存在感を高めることに成功した [11]。
また、厳島の戦い(いくさかのたたかい)は、元就の謀略家としての才能を最も象徴する戦いとされる [12]。天文24年(1555年)、大内氏の実権を握っていた陶晴賢(すえはるかた)は、大軍を率いて安芸国に侵攻した [13]。元就は圧倒的な兵力差を覆すため、厳島に築いた宮尾城を囮にし、陶晴賢を厳島におびき寄せた [14]。そして、毛利水軍を活用し、奇襲攻撃を仕掛けることで、陶軍を壊滅させ、陶晴賢を自害に追い込んだ [15]。この勝利により、元就は中国地方における覇権を確立する足がかりを築いた [16]。
三本の矢の教え#
元就の教訓として最もよく知られているのが、「三本の矢」の逸話である [17]。これは、元就が三人の息子、毛利隆元(もうりたかもと)、吉川元春(きっかわもとはる)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に対し、一本の矢は容易く折れるが、三本束ねれば折れないことを示し、兄弟の結束の重要性を説いたというものである [18]。この逸話は後世の創作であるという説もあるが、元就が兄弟間の結束を重視し、吉川氏と小早川氏という有力国人を毛利氏の支族として取り込むことで、毛利両川体制と呼ばれる強力な支配体制を築き上げたことは事実である [19]。
中国地方の統一と晩年#
厳島の戦い後、元就は着実に勢力を拡大し、ついに中国地方の大半を支配下に置くに至った [20]。尼子氏との戦いでは、尼子氏の有力家臣を内応させる策を用い、永禄9年(1566年)には月山富田城(がっさんとだじょう)を落とし、尼子氏を滅ぼした [21]。これにより、元就は中国地方のほぼ全域を統一した [22]。
晩年は、長男・隆元に先立たれるという悲劇に見舞われたが [23]、孫の毛利輝元(もうりてるもと)を後継者とし、隆元が果たせなかった天下統一の夢を輝元に託すべく、後見役として引き続き政務を見守った [24]。元亀2年(1571年)に75歳で死去した [25]。
関連事項#
毛利両川体制#
毛利両川体制とは、毛利氏の当主を補佐する形で、吉川氏と小早川氏という二つの有力支族が軍事・政治の両面で重要な役割を担う体制を指す [26]。元就の次男・吉川元春が吉川氏を、三男・小早川隆景が小早川氏を継承し、それぞれが独立した軍団を率いて毛利氏の勢力拡大に大きく貢献した [27]。この体制は、毛利氏が中国地方の覇者となる上で不可欠なものであったと考えられている [28]。
元就の評価#
毛利元就は、その巧みな謀略と優れた統治手腕から、しばしば「謀神」や「知将」と称される [29]。一方で、自身の血縁者をも政略の道具とすることから、冷酷な一面を持つ人物として評価されることもある [30]。しかし、その行動の根底には、小豪族であった毛利氏を存続させ、発展させるという強い使命感があったとされている [31]。
墓所と関連史跡#
毛利元就の墓所は、広島県安芸高田市の洞春寺に隣接する毛利元就墓所にある [32]。また、本拠地であった吉田郡山城跡(よしだこおりやまじょうあと)は、国の史跡に指定されており、元就ゆかりの地として多くの観光客が訪れる [33]。
脚注
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、1-5頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、150頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、12頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、15-20頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、35頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、100-105頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、30-35頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、60頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、155頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、50-55頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、70頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、200頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、100頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、120頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、210頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、110頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、150頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、130頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、250頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、180頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、180-185頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、300頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、200頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、210頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、220頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、245頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、160頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、140頁。↩
- 山本浩樹「西国の戦国合戦」吉川弘文館、2007年、310頁。↩
- 渡辺大門「毛利元就」吉川弘文館、2016年、230頁。↩
- 河合正治「毛利元就のすべて」新人物往来社、1997年、220頁。↩
- 広島県教育委員会編「広島県の歴史散歩」山川出版社、2009年、150頁。↩
- 安芸高田市教育委員会「吉田郡山城跡」現地案内板より。↩
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