濃姫

最終更新: 2026/1/22

概要#

濃姫(のうひめ)は、戦国時代の武将・織田信長 [1]の正室である。美濃国の戦国大名・斎藤道三 [2]の娘として生まれ、父と信長の同盟の一環として嫁いだ。通称は帰蝶(きちょう)または胡蝶(こちょう)とも伝えられるが、確かな史料には見えず、後世の創作や俗説の可能性が高い [3]

歴史・背景#

生誕と生い立ち#

濃姫の生年は定かではないが、天文2年(1533年)頃と推測されている [3]。父は美濃国の守護代家老から下克上によって戦国大名となった斎藤道三である。母については諸説あるが、道三の正室である小見の方 [4](近江の六角氏 [5]一族、または土岐頼武 [6]の娘とも)が一般的である。当時の戦国大名の娘がそうであったように、濃姫もまた、家の存続や勢力拡大のための政略結婚の道具として育てられたと考えられる。

織田信長への嫁入り#

天文16年(1547年)頃、尾張国の織田信長と斎藤道三の間で同盟が結ばれることとなった [7]。この同盟は、信長の父である織田信秀 [8]と道三が度々争っていた背景があり、尾張と美濃の国境の安定化を図るものであった。その政略結婚の一環として、天文17年(1548年)に濃姫は信長の正室として輿入れした [7]。この時、信長は15歳、濃姫は16歳前後とされている。

道三は濃姫に対し、「もし信長がうつけ(愚か者)であれば、この短刀で刺し殺せ」と言って短刀を持たせたとされる逸話があるが、これは後世の創作である可能性が高い [9]。実際に、道三が信長を評価していたことを示す記録もあり、この逸話は信長の奇矯な振る舞いを強調するためのものと考えられる。

斎藤家の滅亡#

濃姫の嫁入り後も、斎藤家と織田家の関係は必ずしも安定していたわけではなかった。弘治2年(1556年)、斎藤道三は子の義龍との間で長良川の戦い [10]が勃発し、道三は敗死した [11]。これにより、濃姫の実家である斎藤家は実質的に滅亡状態となり、信長は後に美濃攻略を進めることになる。この際、濃姫が信長に対し、実家への援軍を求めたという記録は見られない。当時の武家の娘は嫁ぎ先の家の人間となるため、実家への特別な感情を表に出すことは少なかったとされる。

主要な内容#

信長の正室としての立場#

濃姫が信長の正室であったことは複数の史料で確認できるが、その具体的な事績に関する記述は非常に少ない [3]。これは当時の女性に関する記録が総じて少ないこと、また信長の正室としての役割が、子を産むことよりも政略的な意味合いが強かったことなどが要因と考えられる。

信長には多くの側室がおり、子宝にも恵まれたが、濃姫との間に子はなかったとされている [12]。このため、信長の後継者争いには直接関与することはなかった。しかし、正室という立場から、織田家内部において一定の権威と影響力は持っていたと推測される。

「帰蝶」の通称と創作#

濃姫の通称として広く知られる「帰蝶」や「胡蝶」という名は、江戸時代以降の軍記物や創作物に登場するものであり、同時代史料には見られない [3]。特に、小瀬甫庵 [13]の『信長記 [14]』や『絵本太閤記 [15]』などの影響で広く普及した。これらの作品では、濃姫は知勇兼備の女性として描かれ、信長を陰で支える役割を演じることが多い。

例えば、信長が美濃を攻略する際に、濃姫が斎藤家の内情を探り、信長に情報提供したという説もあるが、これも史料的な裏付けはない。しかし、このような創作が、現代の歴史ドラマや小説において、濃姫を魅力的なキャラクターとして描く土台となっている。

その後の消息#

濃姫のその後の消息についても、確かな記録は少ない。本能寺の変(1582年)で信長が亡くなった後も生存していたとされており、浄巌院 [16](岐阜県岐阜市)に信長の位牌とともに濃姫の位牌も安置されていることから、1612年以降まで生きていた可能性が指摘されている [16]

信長死後、濃姫は信長の嫡男・織田信忠 [17]の嫡男である織田秀信 [18](信長の孫)に仕えたとする説や、織田信包 [19](信長の弟)の元に身を寄せたとする説などがある [3]。また、豊臣秀吉 [20]の保護を受けていた可能性も考えられる。いずれにせよ、信長亡き後の混乱期を生き延びたことは確かである。

関連事項#

濃姫にまつわる逸話#

  • 道三の短刀の逸話: 信長に嫁ぐ際、父道三から「もし信長がうつけ(愚か者)ならば、この短刀で刺し殺せ」と短刀を渡されたという逸話がある [9]。しかし、濃姫は「もし信長様が真の器であれば、その短刀は信長様を守るために使います」と答えたとされる。この逸話は、濃姫の賢明さと信長の器量を象徴するものとして、後世の創作で頻繁に用いられる。
  • 信長との関係: 夫婦関係の実態については不明な点が多いが、信長が濃姫を大切にしていたことを示唆する逸話も存在する。例えば、信長が美濃を攻略し、岐阜城を本拠とした際、濃姫の生家である斎藤家の菩提寺を保護したとされる。
  • 現代の創作物: 濃姫は、小説、漫画、テレビドラマ、映画、ゲームなど、様々な現代の創作物において魅力的な女性キャラクターとして描かれている。多くの場合、信長の理解者であり、影で支える賢夫人、あるいは自らも戦場に立つ勇ましい女性として登場する。

墓所#

濃姫の墓所とされる場所は複数存在し、その正確な場所は確定されていない。

  • 妙心寺 [21](京都市右京区):信長の位牌が安置されている塔頭退蔵院 [22]に、濃姫の供養塔がある。
  • 総見院 [23](京都市北区):信長の菩提寺であり、信長夫人たちの供養塔がある中に濃姫の供養塔も含まれる。
  • 崇福寺 [24](岐阜県岐阜市):斎藤道三と信長の位牌が安置されており、濃姫の供養塔も存在する。

これらの墓所は、濃姫が信長の正室という立場であったことから、信長ゆかりの寺院に供養塔が建てられたものと考えられる。

脚注

  1. 谷口克広「織田信長」吉川弘文館、2006年。
  2. 渡邊大門「斎藤道三」ミネルヴァ書房、2021年。
  3. 谷口克広「織田信長家臣人名辞典」吉川弘文館、1995年。
  4. 歴史読本編集部編「戦国武将の妻たち」新人物往来社、2011年。
  5. 新人物往来社編「日本史人物総覧」新人物往来社、1998年。
  6. 岐阜県史編さん室「岐阜県史 通史編 中世」岐阜県、1969年。
  7. 和田裕弘「信長公記」中公新書、2017年。
  8. 谷口克広「織田信秀」吉川弘文館、2014年。
  9. 小瀬甫庵「信長記」(桑田忠親訳注、新人物往来社、1997年)。
  10. 桑田忠親「日本の合戦」新人物往来社、1981年。
  11. 斎藤道三研究会編「斎藤道三のすべて」新人物往来社、2018年。
  12. 桑田忠親「織田信長」講談社、1965年。
  13. 渡辺武「小瀬甫庵」ミネルヴァ書房、2000年。
  14. 太田牛一「信長公記」(角川ソフィア文庫、2010年)。
  15. 岡田玉山「絵本太閤記」国立国会図書館デジタルコレクション、1802年。
  16. 岐阜市歴史博物館「特別展 織田信長とその時代」岐阜市歴史博物館、2005年。
  17. 谷口克広「織田信忠」吉川弘文館、2007年。
  18. 谷口克広「織田秀信」吉川弘文館、2008年。
  19. 谷口克広「織田信包」吉川弘文館、2009年。
  20. 小和田哲男「豊臣秀吉」講談社学術文庫、2012年。
  21. 妙心寺史編纂委員会「妙心寺史」妙心寺、1976年。
  22. 妙心寺退蔵院「退蔵院の歴史」退蔵院公式サイト。
  23. 総見院「総見院の歴史」総見院公式サイト。
  24. 崇福寺「崇福寺の歴史」崇福寺公式サイト。

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