概要#
織田信雄(おだ のぶかつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名である。織田信長の次男として生まれ、伊勢国や尾張国に所領を持った。父の死後、豊臣秀吉と対立したが後に臣従し、江戸時代には大和国や上野国に所領を与えられ、大名家として存続した。信長の子孫として、その血脈を後世に伝えた人物として知られる。
歴史・背景#
誕生と幼少期#
永禄元年(1558年)、織田信雄は尾張国の戦国大名である織田信長の次男として誕生した。幼名は茶筅丸。母は生駒吉乃(生駒屋敷の娘)。信長の嫡男である織田信忠とは異母兄弟にあたる。幼少期については詳しい記録は少ないが、信長の子として相応の教育を受けて育ったと推測される。
北畠家継承#
元亀元年(1570年)、信長は南伊勢を支配していた北畠具教と和睦し、その際に信雄は具教の養子となり、北畠家の家督を継承した。これは信長による伊勢国支配を確立するための戦略的な婚姻政策の一環であった。信雄は北畠家の居城である多気御所に入り、北畠信雄と名乗った。天正4年(1576年)には、信雄は信長の命を受けて具教を暗殺し、北畠家を完全に織田家の支配下に置いた[1]。これにより、伊勢国の実効支配を強固なものとした。
信長死後の動向#
天正10年(1582年)の本能寺の変で父・信長が横死した後、信雄は清洲会議に参加し、信長の後継者問題に深く関与した。この会議では三男の織田信孝とともに、信長の孫である三法師(後の織田秀信)を擁立し、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と対立した。しかし、秀吉の巧みな政治工作により、信雄は清洲城主となり尾張国を領することになったものの、実質的な影響力は秀吉が握ることになる。
主要な内容#
小牧・長久手の戦い#
清洲会議後、信雄は秀吉の勢力拡大に危機感を抱き、天正11年(1583年)に信孝が秀吉に滅ぼされると、信雄は秀吉との対立を深めた。天正12年(1584年)、信雄は徳川家康と同盟を結び、秀吉に対して挙兵した。これが小牧・長久手の戦いである。
この戦いにおいて、信雄・家康連合軍は秀吉軍を相手に善戦し、特に長久手では秀吉軍の一部隊を撃破するなどの戦果を挙げた。しかし、戦況は膠着状態に陥り、秀吉は長期戦を避けるため、信雄に対して和睦を打診した。信雄は家康に無断で秀吉と和睦を結び、その結果、家康は孤立することとなった。この和睦により、信雄は秀吉の傘下に入り、父の遺領を継承する立場から、秀吉の家臣として位置づけられることになった。
豊臣政権下での立場#
秀吉に臣従した後、信雄は豊臣政権下で大名としての地位を保ったが、その立場は不安定であった。小田原征伐後、秀吉は信雄に東海地方の移封を命じたが、信雄はこれを拒否したため、所領を没収され改易処分となった。その後、信雄は一時的に下野国烏山に蟄居させられた。
しかし、信雄は信長の子であり、その血筋は秀吉にとっても無視できない存在であった。そのため、文禄元年(1592年)の文禄の役の際には、秀吉の陣中に参陣を許され、後に大和国で小規模な所領を与えられた。これは、信長の子としての名誉をある程度回復させる措置であったと考えられる。
関ヶ原の戦いと江戸時代#
関ヶ原の戦いでは、信雄はどちらの陣営にも属さず、中立を保ったとされる。しかし、子の織田高長は西軍に属したため、戦後、信雄は徳川家康によって再び所領を没収された。
その後、信雄は家康に懇願し、慶長19年(1614年)の大坂の陣では、家康の求めに応じて出陣した。この功績により、家康から大和国宇陀郡に所領を与えられ、大名に復帰した。さらに、寛永元年(1624年)には上野国甘楽郡にも所領を与えられ、織田信雄家は江戸時代に存続する大名家となった。信雄は寛永7年(1630年)に73歳で死去し、その子孫は後に織田家として丹波柏原藩主などを務めた。
関連事項#
織田信雄家の存続#
織田信雄は、織田信長の子孫でありながら、秀吉政権下での改易や関ヶ原の戦い後の所領没収といった苦難を経験した。しかし、最終的には徳川家康に接近し、大名としての地位を回復させることに成功した。このため、信雄の系統は、織田信長の直系子孫として江戸時代を通じて存続した数少ない家系の一つとして歴史に名を残している。
評価#
織田信雄は、父信長や豊臣秀吉、徳川家康といった傑出した人物に囲まれ、その影に隠れがちであった。しかし、小牧・長久手の戦いにおける家康との同盟や、その後の秀吉への和睦、そして家康への臣従と大名復帰など、激動の時代を生き抜くためのしたたかな政治的判断力を持っていたと評価されることもある。一方で、優柔不断な面や、大局を見誤ることもあったと指摘されることもある。彼の生涯は、戦国時代から江戸時代への転換期における大名の生き残りの難しさを示す典型的な例とも言えるだろう。
脚注
- 谷口克広「織田信長家臣人名辞典」吉川弘文館、1995年。↩
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