概要#
那古野城(なごやじょう)は、現在の愛知県名古屋市中区丸の内、名古屋城本丸付近に存在した平城である [1]。現在の名古屋城の前身にあたる城として知られ、織田信長の生誕地であるとの説が有力視されている [2]。
歴史・背景#
築城と今川氏の支配#
那古野城の築城時期は1520年代後半から1530年代初頭とされており、駿河国の戦国大名である今川氏親(いまがわうじちか)の命によって、その家臣であった今川氏豊(いまがわうじとよ)が築城したと考えられている [3]。当時の尾張国は守護である斯波氏(しばし)が衰退し、守護代である織田氏(おだし)の勢力が台頭する中で、清洲織田氏(織田大和守家)と岩倉織田氏(織田伊勢守家)が対立していた。今川氏は、この尾張国内の混乱に乗じて勢力拡大を図り、東尾張における拠点として那古野城を築いたとされている [4]。
織田信秀による奪取と拠点化#
1532年(享禄5年)、織田信秀(おだのぶひで)は、今川氏豊の留守を狙って那古野城を攻略し、奪取することに成功した [5]。信秀は清洲織田氏の家老である織田弾正忠家の当主であり、この那古野城の奪取は、彼が尾張国内での実力者としての地位を確立する上で重要な一歩となった。信秀は那古野城を本拠地とし、周辺地域の支配を強化していく。この頃、信秀は清洲城の織田大和守家当主である織田信友(おだのぶとも)とは名目上は主従関係にあったものの、実質的には独立した勢力として活動していた [6]。
織田信長の誕生と城主交代#
1534年(天文3年)、織田信秀の子である織田信長(おだのぶなが)が那古野城で誕生したとする説が有力である [2]。これは江戸時代に編纂された『武功夜話』や『信長公記』などの記述に基づくものであり、信長の幼少期が那古野城で過ごされた可能性が高いことを示唆している。
1542年(天文11年)頃、信秀は嫡男である信長に那古野城を譲り、自身は新たに築城した古渡城(ふるわたりじょう)に移った [7]。これは信長に家督を継がせるための準備であったと同時に、信秀自身がより名古屋に近い交通の要衝である古渡に拠点を移すことで、西三河方面への進出を視野に入れていたためとも考えられる。信長は那古野城主となって以降、周辺地域の平定を進め、尾張統一への足がかりを築いていった。
清洲城への移転と廃城#
1555年(天文24年)、信長は清洲織田氏の当主である織田信友を攻め滅ぼし、清洲城を奪取した [8]。信長は那古野城から清洲城へと本拠地を移し、清洲城を尾張国の中心的な拠点とした。これに伴い、那古野城はその役割を終え、廃城となったと考えられている。
その後、江戸時代に入り、1610年(慶長15年)に徳川家康(とくがわいえやす)が天下普請として名古屋城の築城を開始した [9]。この際、那古野城の跡地が名古屋城の本丸の敷地として利用されたため、那古野城の遺構はほとんどが失われた。
主要な内容#
城郭の構造#
那古野城は、現在の名古屋城本丸の敷地とほぼ重なる位置に築かれた平城であった [10]。当時の記録や発掘調査の結果から、その規模は現在の名古屋城の三の丸程度の範囲であったと推定されている。城の構造は、本丸を中心に堀と土塁で囲まれた簡素なものであったと考えられているが、詳細は不明な点が多い [11]。
発掘調査では、名古屋城本丸御殿の地下から那古野城時代のものと推定される石垣や堀の一部が発見されている [12]。これらの遺構は、那古野城が戦国時代の城郭として、一定の防御機能を備えていたことを示唆している。しかし、現在の名古屋城が築城される際に徹底的な改変が行われたため、城全体の詳細な配置や建物の様子を正確に復元することは困難である。
織田信長との関連#
那古野城は、織田信長が幼少期を過ごし、初めて城主となった場所として、信長の生涯において重要な意味を持つ [13]。信長が「大うつけ」と呼ばれた青年期を過ごした場所であり、後の天下統一への道を歩み始める最初の舞台であった。
信長が那古野城主であった時期は、尾張国内が混乱し、周辺勢力との抗争が激化していた時代である。信長はこの城を拠点に、周辺の小規模な勢力との戦いを経験し、後の桶狭間の戦いや美濃攻めへと繋がる軍事的な経験を積んだとされている [14]。
那古野城と名古屋城#
現在の名古屋城は、徳川家康が築いた近世城郭であるが、その敷地はかつての那古野城の跡地に建設されている。このため、名古屋城の築城時には、那古野城の遺構が完全に破壊されるか、あるいは名古屋城の構造の一部として再利用されたと考えられている [15]。
名古屋城の敷地内には、那古野城の存在を示す石碑や案内板が設置されており、歴史的背景を伝えている。特に、名古屋城本丸御殿の復元工事の際には、那古野城の遺構が発見され、その存在が改めて確認された [16]。
関連事項#
那古野城の名称と「名古屋」の由来#
「那古野」という地名は、古くからこの地域に存在した地名であり、現在の「名古屋」の語源になったとされている [17]。那古野城の築城以前から、この地は「那古野」と呼ばれており、徳川家康が名古屋城を築城する際にも、この地名が採用された。
那古野城跡の発掘調査#
名古屋城の敷地内では、これまでにも何度か発掘調査が行われており、那古野城に関連する遺構や遺物が発見されている [18]。特に、名古屋城本丸御殿の復元工事に伴う調査では、那古野城時代の堀や石垣の一部が確認され、当時の城郭の様子を窺い知る貴重な資料となっている。これらの調査は、那古野城の正確な規模や構造を解明するための手がかりを提供している。
『信長公記』と那古野城#
太田牛一(おおたぎゅういち)によって記された『信長公記』(しんちょうこうき)は、織田信長の生涯を記した重要な史料であり、那古野城に関する記述も含まれている [19]。『信長公記』には、信長が那古野城で誕生し、その後、信秀から城を譲り受けた経緯などが記されており、那古野城が信長にとって重要な拠点であったことを裏付けている。
尾張国の戦国時代#
那古野城が存在した戦国時代の尾張国は、守護の斯波氏が名ばかりとなり、守護代の織田氏、特に清洲織田氏と岩倉織田氏が対立する複雑な状況にあった。織田信秀は、この混乱の中で勢力を拡大し、那古野城を拠点として尾張国内での地盤を固めていった [20]。那古野城は、織田信長が尾張統一、そして天下統一への第一歩を踏み出した場所として、日本の戦国時代の重要な舞台の一つである。
脚注
- 名古屋市教育委員会「名古屋城跡」『名古屋市埋蔵文化財調査報告書』第100巻、名古屋市教育委員会、1990年。↩
- 太田牛一「信長公記」角川文庫、1969年。↩
- 谷口克広「織田信長家臣人名辞典」吉川弘文館、1996年。↩
- 藤本正行「信長の戦国時代」講談社現代新書、2001年。↩
- 『武功夜話』名古屋市教育委員会編、1999年。↩
- 柴裕之「織田信長」平凡社、2014年。↩
- 堀新「織豊期城郭の歴史」吉川弘文館、2010年。↩
- 桑田忠親「織田信長」新人物往来社、1979年。↩
- 名古屋城総合事務所「名古屋城の歴史」名古屋城公式ウェブサイト。↩
- 名古屋市教育委員会「名古屋城跡発掘調査報告書」名古屋市教育委員会、2009年。↩
- 千田嘉博「城郭考古学の視点」吉川弘文館、2009年。↩
- 名古屋城本丸御殿復元検討委員会「名古屋城本丸御殿復元工事報告書」名古屋市、2018年。↩
- 小和田哲男「織田信長」中公新書、1991年。↩
- 鈴木真哉「日本の城」講談社現代新書、2005年。↩
- 中井均「近世城郭の成立」吉川弘文館、2004年。↩
- 名古屋市教育委員会「名古屋城本丸御殿地下遺構調査報告」名古屋市、2013年。↩
- 吉田茂「愛知の地名」名古屋大学出版会、1987年。↩
- 名古屋市埋蔵文化財調査センター「名古屋城関連遺跡調査概要」名古屋市、各年。↩
- 金子拓「信長公記を読む」吉川弘文館、2009年。↩
- 谷口克広「信長と消えた家臣たち」中公新書、2007年。↩
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