概要#
佐久間信盛(さくま のぶもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である [1]。織田信長に仕え、筆頭家老として織田政権初期から中期にかけて重臣の地位を占めた。軍事面だけでなく、内政や外交においても活躍したが、後に信長によって追放されたことで知られる [2]。
歴史・背景#
生涯#
佐久間信盛は、享禄元年(1528年)頃に尾張国愛知郡山崎(現在の愛知県名古屋市南区)で生まれたとされている [1]。佐久間氏は、尾張国に勢力を持っていた織田氏の家臣であり、信盛の父とされる佐久間信晴(さくま のぶはる)も織田信秀に仕えていた [3]。信盛は幼少期から織田信長に仕え、その若年期から信長の側近として活動した。
織田信長への仕官#
信盛が信長に仕え始めた正確な時期は不明だが、信長が家督を継いだ頃には既に重臣の一人であったと考えられている [4]。信長が若年の頃、周囲から奇行を理解されず孤立する中で、信盛は林秀貞、柴田勝家らと共に信長を支えたとされる [5]。特に、信長と弟である織田信行との対立においては、信長側に立って戦った。弘治2年(1556年)の稲生の戦いでは、信行方の林秀貞と戦い、勝利に貢献した [6]。
主要な内容#
織田家の筆頭家老#
信盛は、初期の織田家の主要な合戦にほとんど参加しており、その功績によって信長の信頼を厚くした。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは、今川義元軍の動向を探る斥候として活躍したという説もある [7]。その後、信長が尾張統一を果たすと、信盛は筆頭家老の一人として織田家の内政・外交を担うようになる。永禄11年(1568年)の上洛戦では、信長の先鋒を務め、六角氏を破り、京都への道を切り開いた [8]。
石山合戦における苦戦#
信盛の生涯において特筆すべきは、織田信長と本願寺との間で繰り広げられた石山合戦における役割である。元亀元年(1570年)に始まった石山合戦は、10年にも及ぶ長期戦となった。信長は信盛を総大将に任命し、石山本願寺の包囲を命じた [9]。しかし、本願寺門徒の抵抗は激しく、また毛利氏や武田氏などの援軍もあって、織田軍は苦戦を強いられた。信盛は長期間にわたり本願寺を攻囲したが、決定的な戦果を挙げることができなかった [10]。
信長による追放#
天正8年(1580年)、石山合戦が終結した後、信長は信盛に対して19ヶ条にわたる折檻状(せっかんじょう)を突きつけ、信盛とその嫡男である佐久間信栄を追放した [11]。折檻状の内容は多岐にわたり、石山合戦における不手際や戦功の少なさ、さらには信盛が信長が家督を継いだ当初から「天下を取る器ではない」と評していたことなどが挙げられている [12]。この追放は、織田家の家臣団に大きな衝撃を与え、信長の厳しい統治姿勢を示すものとして後世に語り継がれた。
信盛は高野山に上り、その後大和国(現在の奈良県)へと移り住んだ。天正10年(1582年)1月19日、紀伊国(現在の和歌山県)で死去した [1]。享年55歳と伝わる。信盛の追放は、織田信長による家臣団再編の一環であったとする見方や、信長が天下統一を目前にして、これまでの功臣であっても能力が不足していると判断すれば容赦なく排除する姿勢を示した事例と解釈されている [13]。
関連事項#
佐久間氏#
佐久間氏は、尾張国を本拠とする武家であり、織田氏の有力な家臣であった。信盛の他にも、佐久間盛政(信盛の甥)など、多くの武将を輩出した [14]。
他の追放された重臣#
信盛の追放に先立ち、織田家の筆頭家老であった林秀貞も信長によって追放されている [15]。これらの事例は、信長が家臣に対して非常に厳格な評価基準を持っていたことを示している。
評価#
信盛に対する評価は、信長による追放という結末から、しばしば否定的に語られることが多い。しかし、信長が天下統一を目指す過程で、長く筆頭家老の地位にあったことは、信盛が優れた行政手腕や軍事能力を持っていたことの証左である [16]。特に、石山合戦のような長期にわたる消耗戦において、総大将として軍を維持し続けたことは、その統率力を示すものと評価する意見もある。
脚注
- 谷口克広「織田信長家臣人名辞典」吉川弘文館、1995年。↩
- 桑田忠親「織田信長」講談社、1965年。↩
- 堀新「織田信長」山川出版社、2018年。↩
- 池上裕子「織田信長と天下統一」吉川弘文館、2000年。↩
- 『信長公記』巻首。↩
- 『信長公記』巻首。↩
- 谷口克広「織田信長家臣人名辞典」吉川弘文館、1995年。↩
- 『信長公記』巻一。↩
- 『信長公記』巻三。↩
- 谷口克広「信長と消えた家臣たち」中公新書、2007年。↩
- 『信長公記』巻十三。↩
- 谷口克広「信長と消えた家臣たち」中公新書、2007年。↩
- 藤本正行「信長の戦国軍事革命」講談社学術文庫、2016年。↩
- 谷口克広「織田信長家臣人名辞典」吉川弘文館、1995年。↩
- 谷口克広「信長と消えた家臣たち」中公新書、2007年。↩
- 笠谷和比古「織田信長」山川出版社、2007年。↩
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